sizukanasoraの日記

16歳です。ふと思った事を書こうと思います。ご一読いただければ光栄です。

涙するんだ

辛い辛い辛い。

もういやだ。こんなの全然駄目だ。

 

死にたくなる。

 

でも、こんな時思うんだ。

逆に考えてみるんだ。

 

そしたらさ不思議と「ありがとう」って出てくるんだよね。心がそうさせるのかな。

 

こんなに叱ってくれてありがとう。

心配してくれてありがとう。

心配してなくても、イヤミでも、あなたにありがとう。

こんな僕を思ってくれてありがとう。

 

気休めだとしても。僕は自分に言い聞かせるんだ。これでいいんだって。辛くても感謝なんだって。

 

 

痛み。生きている証拠。

 

でも痛みはいやだ。とても、怖い。痛い。

 

痛みながら、成長していく。年老いてく。

 

そうやって死んでいく。

 

なんで人って生きてるんだろう。生きるって痛いのに。幸せはいつか壊れるのに。それで痛みを知って怖くなるのに。

 

繋いだ手は、いつかは離れてしまうのに。

 

 

なんでそんなに痛みたがるの

 

なんでこんなに痛いの

 

 

人と人とは完全には分かりきれないのに。

なのに、なんでそんなに追いかけるの。

 

 

 

 

 

逆に考えてみる。自分がそれを完全じゃなくていいから、分かった時。僕はきっと。きっと

 

 

時間と時

時間が全てを産んでく。

そして、枯らせる

いつも同じ時の流れに心が病んじゃいそうだよ。
人生の気だるさっていうのは、こういう事を言うんだろうね。



時間はとても不便だ

捕まえられない雨のよう

止まらない風のよう

悲しさが、溢れ出す。途方もない怒りを溶かしながら、ゆっくりと。


あの人は石の枕で寝ている。ふかふかの枕を差し出すと、ゆっくりと首を横に降る。

私にはこれで十分です、と、語るような目で僕を見つめる。

医者がいるのは病人ですよ、と、心の中に言ってくる。



たまに僕は独りになって考える。どうして神様は僕らを作ったんだろう、と。

ぼくは分からない、きっといつまでも分からない。

そうして、いつもと同じの時が流れ、時間が削れていく。




夢の中でまたあの人に出会であう。


今度は僕の番ですね。
ふと、時間が止まった。

僕は、ゆっくり床についた。涙を、1滴、ながしながら。







This  is  trip.

何故、人はこんなにもわがままなのでしょうか。

僕は神様に嘆くように聞きます。どうして、と。

 

神様なら、どれだけ人間が汚いか分かっていたはずです。 神様なら、どれだけ人間が冷たいか気付いていたはずです。

何故ですか。それでは人間じゃなくなる、からですか。

 

 僕は…人は幸せになるために生きていると信じています。

けれど、時々不安になるのです。

こんなにも我慢しているのに、こんなに頑張ったのに、こんなに生きてきたのに。

悲しいのは何故、と。

そんな時気付くんです。心が言うんです。ふと、唐突に。

 

「まだ幸せじゃないのですか? まだ、足りないのですか?」と。

 

分かってるんです。自分が汚れていて本当は何もできない事も。幸せだという事も。

…でも、何か違うんです。何かが、心に突っ掛かるんです。何なんでしょうか、これは。

 

 

 

僕は、お墓になりたい。変だと思われるかもしれないけれど、たくさんの十字架で覆われた小山になりたい。

誰でもそっと抱いてくれるような優しさと、慈悲の心を思った小山に。

 

 

 

クッキーの型のように僕を縁取らないでください。

 

太陽の赤のように、僕を定めないでください。

 

僕は、空の青。空の青のような、決まりの無い素直な色。

 

水のような柔らかさと、空気のようなさわり心地。

 

 

 

 僕はきっといつになっても幸せに向かって歩むんでしょう。

神様どうか、この歩みが同じ過ちに繋がっていませんように。守って下さい。

もし、明日

皆と同じように生きて、皆と同じように行動して、皆と同じように死を迎える。

 

人とは違う生活を、自分が憧れている生活を送りたいと思うけれど。それは、予想以上に難しくて。

 

あの人が掲げているのは理想で、僕が掲げているのは現実なのだろうか。

自分は正しいと心は泣くようにいうけれど

何も見出せなくて、自分の手の平を見つめると、それこそ、何もなくて。

それなのに、僕の手の平は血で染まっているように黒く、汚れていて。

 

だから、たまに思う。

生きるとは何なのか、愛とは何なのか、悲しみとは──何なのか。

その答えが分かるなら、僕は街の冷たい風に吹かれながら、色あせていってもいい。

いったいこの気持ちは・・・どこから・・・どこからくるのだろうか。

 

自分は自分らしく生きようとするならば、孤独さえ恐れてはいけないよね。

 

自分は自分らしく生きようとするならば、悲しみにさえ涙は流せないよね。

 

小さな愛さえ、心に響かないなら、独りで生きてもストレスさえ、感じないよね。

人は心さえ虚しくて、悲しみの存在を大きく感じてしまうものさ。

 

 

 

 

悲しみによって優しさが育まれるのなら

悲しみにさえ、感謝しなければ。

 

こんな文章も、書くのが今日で最後になったとするならば。

僕は全ての事に感謝するんだろうね。

 

だから

 

生きている今の間にできるだけいっぱい

 

感謝するんだ

 

たとえそれがどんなに辛くても

宇宙のかけら

社会という大きな存在の中に

 

国という大きな存在の中に

 

地球という大きな存在の中に

 

宇宙という大きな存在の中に

 

銀河という大きな存在の中に

 

僕は、居る。

 

そう考えてしまうと自分がとても、ちっぽけな存在のように思えてくる。

 

もし、僕が死んだらどうなるんだろうか。

どう世界が変わるのか。どう人の運命を変えるのか。

どうやって僕の死は影響するんだろう。

少なからずでも影響して欲しい。

 

そんな存在になりたい。

 

 

そう考えてしまうと

この社会が

この世界が

この人生が

 

とても自分を縛っているように思えてくる。

 

この部屋が

この自分が

このちっぽけな命が

責任を押しつけているように感じて。

 

 

本人にしか自分にしか分からないことだってあるだろうと、自分で自分を慰めるけど。

社会は、世界は、人はわがままだから。繰り返すものだから。

 

心がすり潰されてしまう。

 

言語じゃ表わせない心の叫びは、絶えず僕を苦しめる。

なんの為に、誰の為に、生きているんだろう。

僕は一体どんなものなんだろう。

 

 

 

大きな大きな世界の、社会が、人が、心が

 

 

僕をたくさん苦しめて、たくさん後悔させて、たくさん泣かせて、たくさん失望させて

 

僕をたくさん笑わせて、たくさん幸せをくれて、たくさん喜んで、たくさん信じさせる

 

きっとこのままで。

ずっとこのままで。

宇宙のかけらのままで。

終ってもいいけど、今は、このままで。誰かのために。生きていたいよ。

Time is 〇〇〇.

卒業してからもう2週間も経った。

未だに涙が出てこないのはきっと、不安定な春の天気のせいだと思う。

 

よく、「天国でまた会おう」というフレーズを映画やドラマで耳にするけれど、それは、約束されているのだろうか。もし、約束されていないのなら、それは、ただ単に気休めの言葉としてしか認識されなくなってしまう。

 

人間に天国があるのなら、動物にも天国があってほしい。

 

絶滅危惧種という最悪なカテゴリーに分類された動物は、いったいどれだけ人間を怨むんだろう。

もう、絶滅してしまった動物、いや絶滅させられた動物は、いったい人間をどんな存在として認知しているのだろう。

 

「私は何も関わっていません。動物を痛めつけるなんてしたことないし、私は動物を愛しています。きっと動物も私を愛しています。だから、私は動物に怨まれていません。」

 

なんて言わせない。

この人間が支配する世界にいる以上、関わっているんだよ。

あなたの立っている地面は、元々は動物や昆虫がいたに違いない。

そこをコンクリートで埋めて、地形を変えて、ぶっ潰して、あなたは立っている。

いきている動物を無残に殺して、バラバラにして、それを食べて、あなたは生きている。

これは、僕だってそうだ。

 

もし、神様が人間と絶滅した動物、どちらを天国に招くか選択を迫られたら。

 

たくさんの幸せに溺れて、いつしか幸せさえ見出せなくなった人間と。

 

幸せを追い求め、人間に刃向かいながらも、懸命に生きていた動物と。

 

どちらを、選ぶだろう。

僕は、きっとジコク行きだ。

 

だから、人間に天国があるようなら、動物にも天国があって欲しい。

 

 

人間にしか分からない苦しみや悲しさは、計り知れない。

けれど、人間にしか分からない幸せや愛も、計り知れないはずだ。

ちっぽけな幸せも、噛みしめて、味わって生きていこうよ、後悔する前に。

 

もうしてしまったんなら、もう、後悔しないように。

ちっぽけな幸せも、愛も、噛みしめて、味わって生きていこうよ。