sizukanasoraの日記

16歳です。ふと思った事を書こうと思います。ご一読いただければ光栄です。

何故、あなたは死にたい時に死なない?

人には、誰でも死にたいと思う時がある。根拠はないけど。

 

暮らしの中の幸せと悲しみは、平等じゃない時がほとんどで、笑ってる時間より悲しんでる時間の方が実は多いんだ。

 

コップに入る水は限りがある。無理矢理広げようとしても無駄なんだ。

 

長年水が滴ってる石はその部分がへこんだようになる。そんな風に、水はすべてを溶かす。

 

もし、コップが人の心だとして、入る水が悲しみや苦難だったら。僕のはどれくらい入って、どのくらいの大きさなんだろう。

 

ちっぽけすぎて、すぐにあふれてしまうのかな。だから、一生懸命少なくするんだろう。

 

でも、溶かされてしまう時がある。

 

ぽっかりと穴が開いて、だらだらと水が垂れて。

 

そんな時思いだすんだ、人の心は時の流れに変わってしまうものだけれど、必死に思いだすんだ。

 

いつしか見出したあの答えを。

 

 

 

 

 

なんで、僕の心はこんなに荒んでるんだろう。

なんで、こんなにちっぽけなんだろう。

なんで、こんなに我慢しなければならないんだろう。

 

 

 

 

自分がしてきた選択が、正解か不正解か分かったら。そんなに、幸せな事はないよね。

 

 

そんな事を考えてる時に思い出すんだ。いつしか見出したあの答えを。

 

死にたい時に、死ねたら。そんなに幸せな事はないよね。

 

 

思いだす。

なんで人は、死にたいと思った時に死なないんだろう。それは……。

 

それは、死ぬ以上の幸せを得たいから、死なないんだよ。

けれど、死んでしまう人もいる。死ぬ事以上に幸せな物を知る前に。

 

ぽっかりと穴が開いて、だらだらと水が垂れて。その水が涙に変わるんなら。それはきっと、一番幸せな事なんじゃないかな。

 

悲しみがあって、幸せがある。涙があって、笑顔がある。

 

そんな風に 「死」 があって、 「生きる」 がある。

分からない事だらけだけど、そう信じていたい。

 

 

 

STARTING OVER

全部をバラバラにして

 

 

全部をぐちゃぐちゃにする

 

 

そして全部を並べ替えて

 

 

全部を振り返る

 

 

全部間違いだったのか、正解だったのかわからないけど

 

 

全部が全部僕がしてきた選択だから

 

 

全部が全部僕だから

 

 

全部失っても、全部をしてきた僕だけが残る。

 

 

銃痕はバンドエードじゃ治せない、なら壁ごとぶち抜いて早く死んでしまいたいよ。

 

 

全部が全部僕だから、全部は全部僕になる。

 

だから全部をバラバラにして、確かめる。

 

ちっぽけで巨大な後悔の波が、それをさらってゆくけれど、僕はそれを途方もなく見つめてる。

 

失った後に、打ち上げられた残骸を僕は拾って並べる、そんなもんだよ自分っていうのは。

 

なにも打ちあげられない僕だけど、残るのは僕だから。

傷だらけの心を拾って何度も並べてる。

 

何のために生きているのか分からなくなるよ。

 

銃痕はバンドエードじゃ治せないなら、壁ごとぶち抜いて早く死んでしまいたいよ。

 

大人たちの、いびつなかたにはめられても。自分は自分らしくいたいから。必死に並べ直してる。

 

 

 

言葉っていうのは最強なやつだから、慎重に並べないといけない。

 

 

 

だから

 

全部をバラバラにして

 

自分を確かめるんだ。

 

 

 

何のために生きてるのか分からいなら、もう一度さ。 もう一度。

 

 

 

擦り切れてく 148 と 33

 学校では、真近となった卒業式の練習が忙しく行われている。

 

 

早い………。あまりにも……早い。

 

時は戻り、3年前。そう、あの卒業式の日だ。

桜はまるで僕らを見送るかのように配置され、咲いていた。校庭の真ん中に立つ楠にクラスメイトの女子は集まって、これでもかくらいに写真を撮っていた。男子は、先生と喋ったり仲間たちと馬鹿騒ぎしたり、もちろん写真もたくさん撮っていた。

 

懐かしいなぁ……

 

あの日からもう3年が過ぎてしまった。なんて早いんだろう。今日さえ、まだあの日のように感じるのに。まだ、あの頃の笑い声やクラスメイトの無邪気な笑顔が、鮮明に、手に取るように思い描けるのに。同時に、忘れてしまったことも多いと実感させられて何か、辛い。

 

 

 

 

 

卒業式まであと7日になった。土日を抜いて、学校にいる時間はたったの33時間になった。

 

また桜は僕らを出迎えてくれるだろうか。あったかい笑顔で、最後の言葉になるかもしれない言葉を、僕は、その日素直に言えるだろうか。寂しいけれど、悲しいけれど言うんだろうなー………本当はそんな言葉は、誰にもしたくは無いけれど。

 

悲しみにさいなまれながら

僕の148時間と33時間は擦り切れていく

そう、あまりにも早く………擦り切れていく。

まだら模様の何か

 

 

 先週に植えた花の芽がまだ出てこなくて、少し季節を間違えたのかな?とか思ってる自分。何の花だったかは覚えていないけれど、きっと綺麗な花が咲く。

 

 

 

 

 何の前触れもなく、何で生きているんだろうって思う瞬間がある。その瞬間は、一人の時、友達と他愛のない話をしている時。実に様々だ。

 

『生きる意味』とは。これも実に様々な物なんだと思う。聖書には『愛されるため、愛するため』と書かれている(抽象的な意味で)。本物の『愛する』という行動や感情は、人それぞれであって感じ方などは違ってくる。なので、その『愛する』という行動や感情をひとくくりにしてしまったり、定義を作る事は間違っている。何言ってんだこいつ、と思うかもしれないけれど、『愛』の形は様々っていう事だけは理解して欲しい。

人から来る親切な行動、言葉、笑顔一つ一つがきっと愛なんだと僕は感じる。話が変わるけれど、アメリカで認められた同性結婚は、『愛』の力で確立したといっても過言じゃない。 さて、本題に移ろう。生きる意味とは何なのか、もう一度考えて欲しい。 『生きる』とは。・・・実に難しい問題だ。 生きる意味、か・・・・うまく言葉にできない。きっと答えは出ない。最後の、最後まで。なんていうか『生きる』という事を、言葉で表現できるようなものにしたくないからなんだと思う。もっと複雑で、繊細で綺麗な星のようなもの。きっと、そう。 きっと生きる意味はその都度変わっていく。愛する人と生きるため。日常を日常として感じるため。誰かを、守るため。そんな心にまだら模様にしみてくる思いが、愛。そう信じたい。

 

 

 

 

教会でこんな記事を見ました。それを、紹介します。

 

【一言の重み】

 

 ----私が住んでいるマンションのお隣のYさんは、顔を合わせれば必ず挨拶をして下さる礼儀正しい方です。私たち夫婦が入居した時、ご挨拶に伺ったら、「ウチの子供が騒いでご迷惑をおかけするかもしませんが、宜しくお願いします」と謙遜な態度で応対して下さいました。

 先日、教会の坪井スタッフから「いつもMくんのマンションの前を通って通勤しているんだけど、その時、いつも挨拶して下さる女性がいるんだよ」というお話を聞きました。その女性の特徴を聞いてみると、十中八九、Yさんのようです。知らない人でも気さくにあいさつされる姿勢にとても学ばされました。

 挨拶とはウィキペディアによると、『日常生活には欠かせない、人と人が気もちをよく生活できる言葉』ということです。私たちが快適な毎日を過ごすために必要なのは、たった一言の「こんにちは」なのかもしれません。----

 

 

 

 

・・・。

 

 

愛ってなんなんだろう。

 

ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。

脳死は人の死なのだろうか?

社会の授業に、『脳死は人の死か?』という問いをされた事がある。なんて答えたかは思いだせないけれど、否定するような返答だった事だけは覚えてる。この文を読んでいるあなたも、自分が生きていると感じる時は、どんな時か一度は考えた事があると思う。僕は、あんまり意識しないけれど『痛み』を感じる時と、『風邪をひいてる時』、『思いを寄せてる人の事を考えてる時』、『誰かのために祈ってる時』、『自分の好きな事をしている時』、色々ある。考えれば考えるほどに出てくるんじゃないかな。

 

 

脳死と位置ずけされた本人は、それを知ったら何を思うんだろうか。確かに、その人は目の前にいる、息もしてる髪の毛も伸びる。これを『死』としていいんだろうか。僕は、人の死は人間が決めつけてはいけないんだと思う。神様がくれた命という物の賞味期限は、人間が定めてはいけないんだろ思う。たとえ運命でも。
脳死は残酷だけど、優しい。まるでカームの海でただひたすらに風を待つ帆だけの舟のよう。その舟の名前は『命』。そして海の名前は『死』。その舟はただただ風を待っている、じっと。 じっと。 でも、風は何かにさえぎられて吹いてこない、空に透明な壁があって、吹いてこない。この壁の名が『運命』なのだろうか。そして、もう二度と風は舟を運んでくれない。岸部がだんだんと海に浸食されていく。 なんて切ないんだろう。岸部、『日常』が遠くなる。
脳死状態にある人は、生きているのか死んでいるのか。生きているが死んでいるのか、僕には分からない。けれど、もうその人のこころの中に、もうその人はいない。
心が違うって叫んでる。違う、違う違う違う違う違う……違うよ…
この人はここにいるよ? 生きてるじゃん。ほら、朝になったらまたあの笑顔で出迎え   てくれるよ? ねえ、そうでしょ? ねえ、そんなに綺麗な寝顔ばっかり見せてないでさ、またお喋りしようよ・・
なんて残酷なんだろう。

 

 

『痛み』は生きている証拠なんだ。人間が感じなければならない一番大切なものなんだ。『死』って奴は一瞬で、唐突で、タイミングってものを知らない。僕は、そう思う。

 

ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。                                                                                                                                       

 

 

あと三日!!

 学校の授業は、受験が終わったせいか、ほとんどDVD観賞会だ。英語は、特に。学校の卒業式の前に、何か催し物をやるということで、『楽しんでくだ祭』をやるそうだ。『楽しんでください』と『祭』をかけてる。まったく、古臭いような気がする。体育館でやるそうで、自分の学級では、個人個人でグループを作り何か見世物をやる、という事になった。しかし、問題はそこじゃない。体育館でやる、ここだ。ここが、問題だ。案の定5~6人のグループを、1~8組の人達に見られる。。これは緊張する。自分のグループでは、マジックとかダンスとかが上がっているけれど、上手くいくか心配。正直、不安もあるし、自信が無い。これだけでも辛いのに、それをステージで、だ。まったく、バンドでもやらせるのかって言いたくなる。

明日は家庭科の調実習があるけれど、上手くいくかな?そう思うのは、前にやった調理実習がさんざんだったからだ。みたらし団子を作るはずだった。だけど、白いスライムに、茶色いみたらしが、かかったものが出来てしまった。一見美味しそう。誰でもそう思うだろう。でも、そのフォルムに騙されてしまった。口に運んでみると、まるで口の中でスライムが泳いでるような舌触り。あの時のようにならないためにも、明日は慎重に作ろうと思う。

 

 学校は、あと15日で終わる。卒業を迎える。もう、2週間しかないと思うと流石に『早く卒業したい』なんてことは言えなくなってしまう。きっと寂しいからなんだと思う。卒業した元3年生をもう一度集めるという事は絶対に無理なんだなー。と、思う(今更だけど)。

最近買った小説を、読み終えてしまい、今は読む本が無い。これを書いてて思いだしたけれど、あと三日! 何が三日かというと、メディアワークス文庫の新刊発売日までが、三日という事だ。なんでこんなに楽しみなのかというと、好きな作家さんの新刊が早く読みたいから!!!

 

新刊発売日は、毎月25日!!  あと三日!

 

この日記を読んでくれた方、本当にありがとうございます。文がまとまってなくて、ごめんなさい。。