sizukanasoraの日記

16歳です。ふと思った事を書こうと思います。ご一読いただければ光栄です。

脳死は人の死なのだろうか?

社会の授業に、『脳死は人の死か?』という問いをされた事がある。なんて答えたかは思いだせないけれど、否定するような返答だった事だけは覚えてる。この文を読んでいるあなたも、自分が生きていると感じる時は、どんな時か一度は考えた事があると思う。僕は、あんまり意識しないけれど『痛み』を感じる時と、『風邪をひいてる時』、『思いを寄せてる人の事を考えてる時』、『誰かのために祈ってる時』、『自分の好きな事をしている時』、色々ある。考えれば考えるほどに出てくるんじゃないかな。

 

 

脳死と位置ずけされた本人は、それを知ったら何を思うんだろうか。確かに、その人は目の前にいる、息もしてる髪の毛も伸びる。これを『死』としていいんだろうか。僕は、人の死は人間が決めつけてはいけないんだと思う。神様がくれた命という物の賞味期限は、人間が定めてはいけないんだろ思う。たとえ運命でも。
脳死は残酷だけど、優しい。まるでカームの海でただひたすらに風を待つ帆だけの舟のよう。その舟の名前は『命』。そして海の名前は『死』。その舟はただただ風を待っている、じっと。 じっと。 でも、風は何かにさえぎられて吹いてこない、空に透明な壁があって、吹いてこない。この壁の名が『運命』なのだろうか。そして、もう二度と風は舟を運んでくれない。岸部がだんだんと海に浸食されていく。 なんて切ないんだろう。岸部、『日常』が遠くなる。
脳死状態にある人は、生きているのか死んでいるのか。生きているが死んでいるのか、僕には分からない。けれど、もうその人のこころの中に、もうその人はいない。
心が違うって叫んでる。違う、違う違う違う違う違う……違うよ…
この人はここにいるよ? 生きてるじゃん。ほら、朝になったらまたあの笑顔で出迎え   てくれるよ? ねえ、そうでしょ? ねえ、そんなに綺麗な寝顔ばっかり見せてないでさ、またお喋りしようよ・・
なんて残酷なんだろう。

 

 

『痛み』は生きている証拠なんだ。人間が感じなければならない一番大切なものなんだ。『死』って奴は一瞬で、唐突で、タイミングってものを知らない。僕は、そう思う。

 

ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。