sizukanasoraの日記

16歳です。ふと思った事を書こうと思います。ご一読いただければ光栄です。

まだら模様の何か

 

 

 先週に植えた花の芽がまだ出てこなくて、少し季節を間違えたのかな?とか思ってる自分。何の花だったかは覚えていないけれど、きっと綺麗な花が咲く。

 

 

 

 

 何の前触れもなく、何で生きているんだろうって思う瞬間がある。その瞬間は、一人の時、友達と他愛のない話をしている時。実に様々だ。

 

『生きる意味』とは。これも実に様々な物なんだと思う。聖書には『愛されるため、愛するため』と書かれている(抽象的な意味で)。本物の『愛する』という行動や感情は、人それぞれであって感じ方などは違ってくる。なので、その『愛する』という行動や感情をひとくくりにしてしまったり、定義を作る事は間違っている。何言ってんだこいつ、と思うかもしれないけれど、『愛』の形は様々っていう事だけは理解して欲しい。

人から来る親切な行動、言葉、笑顔一つ一つがきっと愛なんだと僕は感じる。話が変わるけれど、アメリカで認められた同性結婚は、『愛』の力で確立したといっても過言じゃない。 さて、本題に移ろう。生きる意味とは何なのか、もう一度考えて欲しい。 『生きる』とは。・・・実に難しい問題だ。 生きる意味、か・・・・うまく言葉にできない。きっと答えは出ない。最後の、最後まで。なんていうか『生きる』という事を、言葉で表現できるようなものにしたくないからなんだと思う。もっと複雑で、繊細で綺麗な星のようなもの。きっと、そう。 きっと生きる意味はその都度変わっていく。愛する人と生きるため。日常を日常として感じるため。誰かを、守るため。そんな心にまだら模様にしみてくる思いが、愛。そう信じたい。

 

 

 

 

教会でこんな記事を見ました。それを、紹介します。

 

【一言の重み】

 

 ----私が住んでいるマンションのお隣のYさんは、顔を合わせれば必ず挨拶をして下さる礼儀正しい方です。私たち夫婦が入居した時、ご挨拶に伺ったら、「ウチの子供が騒いでご迷惑をおかけするかもしませんが、宜しくお願いします」と謙遜な態度で応対して下さいました。

 先日、教会の坪井スタッフから「いつもMくんのマンションの前を通って通勤しているんだけど、その時、いつも挨拶して下さる女性がいるんだよ」というお話を聞きました。その女性の特徴を聞いてみると、十中八九、Yさんのようです。知らない人でも気さくにあいさつされる姿勢にとても学ばされました。

 挨拶とはウィキペディアによると、『日常生活には欠かせない、人と人が気もちをよく生活できる言葉』ということです。私たちが快適な毎日を過ごすために必要なのは、たった一言の「こんにちは」なのかもしれません。----

 

 

 

 

・・・。

 

 

愛ってなんなんだろう。

 

ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。